この記事は長崎県対馬市にある豊砲台跡の紹介です。
こんにちは、モカリーナです。
対馬にくると見ておきたい場所の1つが豊砲台跡です。
巡洋戦艦「赤城」の重量103tもの主砲を移管改造したという説のある砲台です。
このひっそりした山中にどのようにして持って来たのか、当時の様子が偲ばれます。
豊砲台は試し撃ちを1度しただけで、実戦で1度も発射したことがなく「撃たずの砲台」などと言われています。
敵軍の目を欺くかのようにひっそりとした山あいに作られた施設。
施設内には機器類などはなく、部屋の看板が掲げられています。
出口近辺にはトイレがありました。
当時の人々が働いていた場所…。
それまで施設見学をしていただけのモカリーナの目に、人々の生活する姿が回想シーンのように映り込んできました。
とても感慨深い気持ちになりました。
対馬は自然が豊かで美しく、見所がたくさんあります。
その中でこの豊砲台跡はモカリーナが強くお伝えしたい場所で、ご自身の目で見ていただきたい所です。
世界最大級の巨砲、豊砲台跡
豊砲台は日本海と朝鮮海峡の制海権を確実なものにするために造られた、当時は世界最大級の巨砲でした。
入り口
入り口の横には照明スイッチがあり、押すと30分間点灯します。
見取り図・あらまし
豊砲台の中はとても広いです。
見取り図の看板を見ていただくと、分かりやすいと思います。
あらまし
豊砲台は朝鮮海峡に面していたので戦略上重要な拠点として、昭和4年5月から5年の歳月を費やして完成したものです。
一般的に「45口径40センチ加農砲」と言われ、長さ18.5mの砲身二門が構築されました。
この砲台は、実戦では一発の弾丸も発射することなく終戦を迎え、昭和20年に米軍の爆撃班によって解体されました。
(看板より抜粋)
砲台跡の部屋
中は機器類は一切なく、何に使われた部屋なのか看板が付いているのみです。
昭和20年10月に米軍の爆破班によって解体されたのを、現状復帰させたものです。
鉄筋コンクリートの厚さが2mの壁は爆破にも耐えて、保存状態もよく残っていました。
砲台(砲塔部)
地下室、砲塔部の厚みは鉄筋コンクリート造りです。
天井、脚壁は爆撃に耐えられるよう厚さ2m以上、砲塔部は厚さ3mの擁壁で保護されています。
重量103tもある戦艦の主砲をこの砲台に取り付けたとも言われています。
穴を覗いてみると、青空が広がっていました。
出口へ
砲台の動力源は水力を利用したと言われています。
ろ過水槽、通過穴を見て、出口に向かいました。
トイレ
出口近辺には木のドアの付いたトイレがありました。
トイレだからと、写真は撮りませんでした。
切り出された石で作られた部屋に、明かり取りの窓がありました。
このトイレがとても衝撃で印象に残っています。
山の地形を利用して、敵に見つからないように作られた砲台。ここに兵士としてお務めされていた方がいたんだと実感できました。
入り口が手前側、奥側に出口、そしてトイレがありました。
砲台を上から見る
砲台のある山の上に登りました。
砲台の周りには鉄網が張られてあり、上から見下ろすことが出来ます。
まとめ
豊砲台は朝鮮海峡に面していたので、戦略上重要な拠点でした。
日本海と朝鮮海峡の制海権を確実なものとするために造られました。
終戦後は米軍の爆破班によって解体されましたが、二度とこのような施設が存在することがないよう人類永遠の願いを切望し、現状復帰されました。
※ 2019年10月19日の記録です。
文章力の無さを痛感するところではありますが、何かを感じとっていただければ幸いです。
それでは次回また、モッチャリーナ(๑˃̵ᴗ˂̵)!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
モカリーナより♡
モカリーナさん、おはようおございます。
なかなか行けない所です。
ご紹介、ありがとうございます。
戦争とか政治とか社会情勢に関して
感想や意見を言うのは、なかなか勇気が要るし
難しいことです。
読んで、写真を見て、個々思ってもらえば良いのだと思います。
TOM (id:tom-oey)さん、おはようございます。
百聞は一見に如かずといいますものね。
写真をたくさん載せましたし、お読みいただければいいですね(^^♪
いつもありがとうございます✨