こんばんは、モカリーナです。
かつて九州中の寺院の中心として繁栄した観世音寺、その一部として設置されたのが戒壇院です。
聖武天皇は唐に仏教の正しい戒律を授戒できる僧の派遣を求めました。
しかし命をかけた船での危険な旅となるため、応じる僧侶がいません。
当時は唐の朝廷から出国が禁止されていましたが、唐の高僧鑑真和上が自ら日本に渡ることを決意しました。
様々な苦労の末、ついには失明にするにいたりますが、6度目に及ぶ挑戦で鑑真はようやく日本に到着しました。
最初の挑戦から10年の歳月がかかり、仏教の正しい戒律をついに伝えることができるようになりました。
その戒律を授けられる場所の一つが、この戒壇院です。
この戒壇院の境内はきめ細やかに整備され、1300年の歴史の重みを感じることができます。
敷地はさほど広くはない境内には、整えられた庭があり、本堂や境内にある地蔵菩薩、供養塔にも花が供えられ、温かな日の光を感じるような素敵なお寺でした。
今回は太宰府観光の最後は、戒壇院の紹介です。
(正門から見た本堂)
目次
戒壇院
戒壇院は、福岡県太宰府市にある臨済宗の寺院。奈良時代において、出家者が正式の僧尼となるために必要な戒律を授けるために設置された施設で、「筑紫戒壇院」とも称される。
(Wikipedia より引用)
現代の戒壇院は古くは観世音寺の一部で、「天下三戒壇」の1つでした。
<天下三戒壇>
- 西戒壇(福岡県観世音寺)
- 中央戒壇(奈良県東大寺)
- 東戒壇(栃木県下野薬師寺)
開山 761年 鑑真和上
本尊 国指定重要文化財 盧舎那仏坐像
かつて観世音寺の西南角に設置された戒壇院。
県道76号線からの脇道を眺めると、真っ直ぐな道の先に美しい紅い塗り壁が見えます。
山門前にある戒壇石
山門前には「不許葷酒肉入境」と刻された戒壇石があります。
「葷酒(くんしゅ)肉 境内に入るを許さず」
お酒やお肉を境内に持って入ることを固く禁じていたんですね。
本堂
県指定有形文化財の本堂。
本堂内には平安時代末期に作られた、木造盧舎那仏坐像が納められ、国指定重要文化財に指定されています。
戒壇には、天竺(インド)・唐(中国) ・大和(奈良)の土が納められています。
※戒壇とは中央部に石で築いてある壇のこと
東側の門(観世音寺側)から見た本堂
花祭り
訪れた日は花祭りが開催されていたようで、お花が供えられていました。
東側の門
観世音寺から歩いてくるとこの門があります。
夕方の日差しを浴びて、キラキラと美しく輝いて見えました。
菩提樹
東側の門から入るとすぐに、県指定天然記念物の菩提樹があります。
看板には「鑑真和上が中国から請来したと伝えられる」と書かれていました。
753年鑑真和上が中国から仏舎利を携えて帰ってきた際、菩提樹の種子も携えられて植えられたのがこの菩提樹です。
戒壇院の菩提樹は中国産のシナノキで、お釈迦様が悟りを開かれた菩提樹のインドシナノキとは全く別物だそうです。
とても洗練された美しいシルエットを保っています。
鐘楼
梵鐘は博多の鋳物師礒野七平の(1701年)の作品で、江戸時代に楠屋白木玄流の遺言により寄進されました。
とても美しい姿の鐘楼は梵鐘とともに、県指定有形文化財に指定されています。
鑑真和上の供養塔
右側が鑑真和上の供養塔。
左側が変形宝筺(ほうきょう)印塔。
五重塔
戒壇院再建に尽くした博多の豪商の供養塔。
かつては九州中の寺院の中心として栄えた観世音寺。その一部として設置された戒壇院。
現在は臨済宗妙心寺派の聖福寺の末寺として存続しています。
「令和」ゆかりの地として太宰府に来られたる方も急増しているんだとか。
太宰府観光の際は、ぜひ観世音寺とセットで戒壇院にも訪れてみてください(*´꒳`*)
それでは次回また、モッチャリーナ(๑˃̵ᴗ˂̵)!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
モカリーナより♡
今回「吉備津彦神社」の記事では、リンクを貼らしてもらい、ありがとうございました。あと何度か、岡山の記事でリンクを貼りたいので、よろしくお願います。
また、今度からは、リンクを貼ったらミニ動画の最後に
「製作協力 モカリーナさん」と入れますので、見て下さい。
とっきー(id:slab822say654)さん、こんばんは!
こちらこそありがとうこざいました😊💕
動画に登場させていただけるのですか?
なんだか申し訳ない感じですが、せっかくの機会なので楽しみにしてます😃✨
どうもありがとうございます。よろしくお願いします!