こんばんは、モカリーナです。
「令和」の元となった大伴旅人が開催された「梅花の宴」。
博多人形で作られた、その宴のジオラマが太宰府展示館にあります。
太宰府展示館では来館者が激増していて、
旅行業者から「団体客を案内したい」と問い合わせや史跡解説の予約も入り始めており、
太宰府観光の新たな流れを作っています。
今回は太宰府政庁跡や太宰府の歴史について、興味深く学ぶことのできる「太宰府展示館」の紹介です。
目次
太宰府展示館
太宰府政庁跡のほぼ敷地内にある太宰府展示館。
太宰府跡の遺構(溝)の一部を保存公開し、
資料や再現ジオラマの展示により、太宰府の歴史がわかりやすく紹介されています。
万葉集の写本
「万葉集」は8世紀後半ごろに作られた日本最古の歌集と言われており、全20巻に約4,500首の歌が収められています。
「令和」の元となった「梅花の宴」32首の序文は、巻五に収められています。
(太宰府展示館には万葉集の写本があります。)
「梅花の宴」のジオラマ
天平2年(730年)1月13日、太宰帥(そち)の大伴旅人邸で開催された「梅花の宴」の様子を、博多人形で再現しています。(山村 延燁氏 作)
宴では太宰府の官人や西海道九国三島の国司たち32人が集い、中国から渡来した高貴な梅の花を題材に歌を詠んだことから「梅花の宴」と呼ばれています。
右端の濃茶の衣は大伴旅人、少し偉そうな表情です。
この中で唯一の女性、遊行女婦児島(うかれめこじま)はうっとりした表情をしています。
館内の案内係りの方から、人形の表情を見ても面白いよと教えていただきました。
そして、左の赤い衣は山上憶良です。
<饗宴の膳>
「梅花の宴」で出された特別なお膳。
食材は地元の産物、各国から集められた干し肉などの特産品。
<下級官人の食事>
下級官人の食事は黒米・粟や稗を主食していた。
太宰府で出土された木簡や遺物、古文書などによって再現されたものです。
太宰府政庁周辺の再現ジオラマ
太宰府は西海道九国三島を統括し、対外的な役割を担った役所でした。
昭和43年の発掘調査によって、太宰府政庁周辺を中心とし、数多くの関連施設が所在していることが明らかになってきました。
発掘調査報告書などをもとに精巧に再現されたジオラマ(森野 晴洋氏 作)
太宰府政庁のジオラマ
太宰府政庁は太宰府の中心部で重要な儀式などに使われた建物です。
これまでの発掘調査により、8世紀前半に奈良の平城京の朝堂院形式の礎石建物に整備されました。
3回の建て替えが判明しています。
- 7世紀後半から8世紀第一4半期8世紀第一
- 4半期から10世紀前半
- 10世紀後半から12世紀前半
(このジオラマは第3期のものです)
太宰府政庁の鬼瓦
遺構
<1300年前の素掘りの溝>
発掘されたままの姿で太宰府展示館の地下にに保存されている。
<玉石敷の溝>
奈良時代の遺溝を発掘調査したままの姿で保存公開したものです。
排水の用をなしたとされ、溝の中の礎石は政庁東側の水路の氾濫によって出来たと思われています。
太宰府市の歴史的な出土品や複製品なども、展示されていました。
太宰府市「観世音寺」「戒壇院」などの出土品の展示されていました。
展示館内ではジオラマや出土品について、説明をしてくれる案内係りの方がいらっしゃいました。
「梅花の宴」ジオラマの人形の表情のことや、カメラアングルなどのプチ情報なども気さくに教えていただきました。
教えていただけると、より一層興味が湧き、分かりやすいですね♡
太宰府の歴史、太宰府政庁跡のことが興味深くお勉強できる展示館。
展示館で太宰府政庁跡のことを学んだ後、
広大な史跡公園を眺めてみると、この場所に確かに存在した古の「遠の朝廷」のことが思い起こされました。
太宰府にお越しの際は「太宰府展示館」にも、足を運んでみてくださいね(*´꒳`*)
それでは次回また、モッチャリーナ(๑˃̵ᴗ˂̵)!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
モカリーナより♡