こんばんは、モカリーナです。
みなさま、一度は「お伊勢参り」って言葉を耳にしたことがあると思います。
伊勢神宮に参拝するってことですよね(*´꒳`*)
このお伊勢参りはお蔭参りとも言うんです。
そしてこの2つの言い方は、使い方が違うんです。
どう違うのでしょうか?
今回はお蔭参りについてと、なぜお蔭参りが庶民の大きな夢になったのかについて紹介しますね。
目次
お伊勢参りとお蔭参り
お伊勢参り
お伊勢参りは伊勢神宮にお参りすることです。
(外宮の古殿地より)
お蔭参り
江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。
お蔭詣で(おかげもうで)とも言います。
数百万人規模のものが、およそ60年周期に3回起こった。この時期をおかげ年といいます。
「お伊勢参りで抜け参り」ともいいます。
お蔭参りの特徴
お蔭参りの最大の特徴は
- 奉公人などが主人に無断で
- 子供が親に無断で
参詣したこと。
当時庶民の移動は厳しかったのですが、参詣の名目だと簡単に通行手形が発行されました。
伊勢神宮に祭られている天照大神は商売繁盛・五穀豊穣の守り神であったため、庶民、特に農民の移動が許されていました。
子供や奉公人が参詣をしたいといえば、親や主人も止めることは出来ません。
たとえ無断で参詣しても、お守りやお札など証拠の品物を持ち帰ればおとがめは受けませんでした。
モカリーナがゲットした証明書(๑˃̵ᴗ˂̵) 内宮・外宮の御朱印。
旅の資金
大金を持たなくても信心の旅ということで、沿道の施しを受けることができました。
また「お伊勢講」という仕組みで、「講」の所属者が集まってお金を出し合い、参詣する人をくじ引きで代表者を決めました。
農閑期に所属者全員が必ず行けるようにし、道中安全のため2、3人ずつ組んで行きました。
「お伊勢講」がないところでは、周囲からの餞別が旅行費の大半を占めていたそうです。
徒歩での参拝期間
- 江戸からは片道15日間
- 大坂からでも5日間
- 名古屋からでも3日間
- 東北地方からも、九州からも徒歩で、岩手県からは100日かかった
餞別とお土産のはじまり
お蔭参りに行く人は、集落の代表として集められたお金で伊勢に参詣したため、手ぶらで帰ってくる事がはばかられました。
伊勢さんでは知識や技術、流行などを知り、見聞を広げるための旅でもあり、
お蔭参りから帰ってきた者によって、最新のファッション・農具・音楽や芸能などが伝えられました。
実際の品物や口頭、紙に書いた旅の記録によって各地方に伝えられました。
これが餞別やお土産のはじまりになったといわれています。
伊勢うどん
伊勢うどんは神宮へ長旅をしてきて疲労がたまっている人向けの食事として、江戸時代に開発されました。
「御師」の勧誘活動
モカリーナが面白いな〜と思ったのは、御師の活躍です。
御師が産業の大神である豊受大御神を、農民に広め、お蔭参りのきっかけになりました。
御師は各地に数名のグループに分かれて勧誘活動をしました。
伊勢暦を配ったり、豊作祈願をして、お米を初穂料としてもらい生計をたてました。
伊勢に旅立った際は、自分達の集落を担当している御師の宿にお世話になりました。
参拝者を飽きさせないおもてなし
- 豪華な食器
- 伊勢や松坂の山海の珍味などの豪勢な料理
- 歌舞でもてなし
- 絹の布団
参拝や観光ガイド
- 参拝の作法を教える
- 伊勢の名所や歓楽街の案内
こうした御師の勧誘活動により、
お蔭参りは江戸時代「伊勢路がみたい、せめて一生に一度でも」と歌われ、庶民の大きな夢になりました。
今の時代も企業戦略により人気爆発ってことがありますが、お蔭参りの御師の勧誘活動も似ている気がして、ちょっと面白いな〜と思いました。
それでは次回また、モッチャリーナ(๑˃̵ᴗ˂̵)!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
モカリーナより♡