こんばんは、モカリーナです。
「遠の朝廷(とおのみかど)」として繁栄していた太宰府の都も、平安時代末にはその役割を終えて田畑と化していました。
昭和30年代、太宰府政庁跡のこの地は、福岡市に近く住宅地に適していたことから、宅地開発計画が進んでいました。
大切な地下の文化財を保存するために、行政と地域住民の理解と協力のもと、今日の太宰府政庁跡を見にすることができます。
現在の太宰府政庁跡は史跡公園として整備され、市民の憩いの場となっています。
正殿の巨大な礎石をはじめ政庁の全体を基壇跡や遺構の側には、分かりやすい説明板が設置されています。
桜の季節には花見を楽しみ、古からある礎石の上に佇み、気軽に歴史を感じることのできるとても素敵な場所です。
では、歴史ある太宰府政庁跡にご案内しますね(*´꒳`*)♡
目次
太宰府政庁跡とは
7世紀後半、大和朝廷は那の津の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して九州を治め、我が国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)とした。
万葉集には”遠の朝廷(みかど)”と詠まれ、その規模をしのばせる立派な礎石が残り、そこを中心に門や回廊、周辺の役所跡等が整備されて、現在は公園となっている。
(太宰府観光協会より)
この太宰府政庁跡は発掘調査の結果、創建時を含め三回の建て替えが行われました。
そして現在、見学している太宰府政庁跡の礎石等は、この最後の三回目のものです。
この三回の建て替えが行われた時期と使用期間
(図説 日本の史跡 第4巻)
- 第一期
太宰府政庁創建期
(7世紀後半~8世紀初頭)堀立柱建物群
- 第二期
朝堂院形式創建期
(8世紀初頭~10世紀中葉)礎石建物
- 第三期
朝堂院形式整備拡充期
(10世紀中葉~崩壊まで)礎石建物
(太宰府政庁跡の復元模型)
太宰府政庁跡の入り口
太宰府政庁跡
正殿基壇後に建てられている石碑
正殿は太宰府の長官の帥(そち)が政務をとり、これと関わる政務や儀式で最も重要な役割を果たした場である。
政治的秩序を保つための威厳に満ちた建物であった。
8世紀に奈良の平城京を模した朝堂院形式の礎石建物に整備された。
南大門後
南門は政庁の南に開かれた正門。
中門跡
東脇殿礎石
回廊跡
後殿跡
築地跡
石碑
発掘調査で発見された溝
約1300年前の素掘りの溝
役所の施設を区画するために設けられた溝。
太宰府展示館に発掘されたままの姿で保存されている。
玉石敷の溝
排水の役目をしていたと思われる溝。
溝の中の礎石は、おそらく脇殿あたりから流されたものと考えられる。
(太宰府展示館にて保存)
史跡公園としての太宰府政庁跡
発掘調査・整備が行われ、現在は史跡公園となっている太宰府政庁跡。
古代よりある礎石の上に、現代を生きる私達が座り、その周りを駆け回る子供達の姿をみるにつけ、なんとも不思議な気分になります。
訪れたのは桜の美しい季節、たくさんの人がお花見を楽しんでいました。
身近かに歴史とふれあえる史跡公園。
発掘調査が進めば、まだまだ新たな発見がなされる浪漫あふれる素敵な場所です。
それでは次回また、モッチャリーナ(๑˃̵ᴗ˂̵)!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
モカリーナより♡